top of page
logo-1.png
  • ホワイトFacebookのアイコン
  • ホワイトTwitterのアイコン
  • ホワイトYouTubeのアイコン
menu-2.png
menu-1.png

Essay1: On Stills and Remains|作品の輪郭(はじめに)

6月9日
読了時間: 10分

遂に今週6月12日に初めてのソロアルバム「Stills and Remains」がリリースされます。


構想を抱き、実際に録音し、ミックスが完成し、マスタリングを行い、リリースするまでに約2年くらいの時間がありました。その間に色々なことを考えてきました。それを少しずつテキストとして残しておきます。まずはどのように作品が創られていったかの概要と、作品の骨子をひとまずテキストで紹介します。


※勿論テキストは「音」とは違うので、ここに書かれることは録音とは本質的には別のものです。なので音だけを聴いてもらって、下記やこれから随時更新しているテキスト群を読まないという選択肢も勿論あります。

▼はじまり:

レコーディングのきっかけは2024年に京都市芸術文化特別奨励者に選ばれたことがまずあります。この奨励者の申請書類の中に、「ソロアルバムを作る」という計画を書いており、運よく選出されたので、私はソロアルバムを作る必要が出てきたのでした。また、2020年にKIPPUという京都芸術センター×ロームシアター京都の企画で大規模なコンサートを開催して以降、個人的には様々な変化があり(その中の一つとして、この作品でも数多く使われた自作の弓があります)、この2020年以降の自身の創作や音楽、またチェロという楽器との関わり合いについて、一度「(仮)固定された何か」を残しておきたいと考えていたのです。


※余談ですが、KAKUHANやSaraudon、またコンサートのパンフレット的側面もある音源「弭 Yuhazu」を除くと、自身の冠名を記した作品は中川裕貴、バンド「音楽と、軌道を外れた」になります。この作品(下記)から今回のソロアルバムの間の「道」については追って何かしら文章を残したいと思います。中川裕貴、バンドの音源リンクを下記に載せておきますが、この音源から今回のソロアルバムの間にはかなり大きな変化があったように思っています。


▼レコーディングについて:

この作品は2024年4月から8月の間に、レコーディングエンジニアである甲田徹さんのスタジオ「ecto」において録音が行われました。録音はKAKUHANのヨーロッパツアー(4月/5月)を挟みつつ行われ、各楽曲において多重録音がなされており、私がこれまで取り組んできたチェロによるライブエレクトロニクス演奏とチェロそのもののアコースティックな側面をうまく共存させるべく、甲田さんに協力いただき、作業を進めました。また録音後には甲田さんと共同でミックスを行い、アルバムとしての全体像が見えてきたのは確か2025年に入ってからだったと思います。


甲田さんは実は僕のことを10代から知ってくれており(初めて出会ったのはお互いがミュージシャンとして、京都のUrBANGUILDで、古川日出男さん、虹釜太郎さん、AENさん、ユタカワサキさんなどが出演されていたイベントだったはず)、2019年以降では私が音楽を担当してくれていた烏丸ストロークという劇団の音響や私の舞台、コンサート作品の音響をしてくれていました。またゲスト参加したCS + Kremeの3rdアルバムの録音も甲田さんがしてくれており、スタジオectoと甲田さんの穏やかな空気は、「アルバムをつくる」ということに変な気負いを与えず、また今回のアルバムは自身の完全なセルフプロデュースですが、甲田さんの暖かな見守りが無ければ完成していなかったと思います(聴き込みすぎてミックス時に意味不明なことを何度も甲田さんに言ったはずです)。


レコーディング中の風景(撮影:甲田さん)
レコーディング中の風景(撮影:甲田さん)

そして、そんなこのアルバムに収録された8つの曲は、それぞれにかなり異なるキャラクターを持っています。これは自分の特徴でもありますが、ひとりの人、ひとつの楽器がくみ上げた作品として、そこから生じる「チェロ奏者のソロアルバム」という言葉からイメージされるものとは異なる像が立ち上がっていると思います。そしてその「異なる像」はこのアルバムの基本コンセプトが、「チェロ」という物体の中に潜んでいる様々な「声」を、身体や道具が引き出すということが念頭にあったから生まれたもので、結果としてある意味では統一感の欠けた、しかしすべてがチェロから生まれたという「唯一の一致」をもってなんとか成立する作品になりました。しかし、ここで私はその音のバリエーションを誇りたいわけではなく、大切なことはやはりチェロという「声」がどのように時間と空間の上にあるのか?ということについて、可能な領域を示すことでした。


※「曲」という文字の語源には竹や蔓で編んだ「籠(かご)」が関係していて、作曲は「籠を創ること」と言えるかもしれません。籠を作ること。籠という物体はもちろん密閉された空間ではないのであり、そこには何かは残り、何は通過していくはずである。私にとって「曲」とはそのようなイメージであり、その通過するものをコントロールすることが自分の仕事だと感じているし、その「通過するものを運ぶ」ことも私の仕事であり、それが演奏という行為だと今は思っています。


・・・


レコーディングの中身や機材のことなどについてはここではこれ以上多くを語りませんが、収録されたすべての音はチェロとそれに関係する身体や道具(弓やエフェクトペダルなど)を介在して生まれたものです。


▼マスタリングについて:

アルバムのマスタリングについては、本当にありがたいことにStephan Mathieu(Schwebung Mastering)にやっていただきました。マスタリングについてはKAKUHANではRashad Beckerにやって頂いており、彼のマスタリングも本当に素晴らしいのですが、今回のソロでは一度別のエンジニアにお願いしたいなと思い、真っ先に自分の頭に出てきたのがStephanでした。理由は下記リンクにあるように彼がマスタリングで関わってきた作品のすばらしさと多様さ、そしてその多くがアコースティックとエレクトリックの間に存在するようなものであったことが第一で、あくまでも「やってもらえたら素晴らしいな」と思い、ダメもとでお願いしたら、意外とすんなりやってもらえました。またそのクオリティも本当に素晴らしく、基本的にはほとんど曲が1発OKで、特にほぼ何もオーダーしていないにも関わらず(先入観を持たずに聴いて欲しかったからです)、作品に対して最高の底上げ、クオリティをもたらしてくれました。やはりアコースティックとエレクトリックそれぞれにある音情報に対する鋭く本質的な彼の「理解」はこれまでの作品ラインナップと完全に一致していることを痛感しました。



▼リリースに関して:

この作品のリリースは、オランダ・ロッテルダムのレーベルTin-angelのサブレーベルである「Unheard of hope」からリリースされました。なぜこのレーベルからリリースすることになったのかというと、ここにもストーリーがあります。2023年に私はKAKUHANで初めての海外ライブ(および本当に初めての海外渡航)をしました。それがオランダ・ハーグの音楽フェスティバル「Rewire 2023」(下記リンク)でした。


そこで私たちKAKUHANは、アーサーラッセルのコラボレーターとして有名なPeter Zummoとコラボレーションライブをしました(この年のRewireではKAKUHAN単独のライブとPeterとのコラボライブの2つのパフォーマンスをしました)。このとき、Peter側のマネージメントをしていたのが、Tin-angelのレーベルオーナーのRichだったのです。PeterもTin-angelおよびUnheard of hopeから作品をリリースしており、彼とのリハーサルやライブ本番、そして彼とKAKUHANのレコーディングなどの中で、Richとしどろもどろの英語のやり取りしました。このとき私は本当に初めての海外で何もかもが新しく、初めてで緊張しており、今になって思うと、いきなりオランダにきて目の前にPeter Zummoがいて、同じ場所で音を出していたということは、実は本当に凄いことでしたがそれに気付くことさえないほどに慌ただしい頭でした。

(そして、しれっとPeter ZummoとKAKUHANでレコーディングしてる書きましたが、これについてもまた近い将来何かしらお知らせができるかもしれません)


(簡単に「アーサーラッセルのコラボレーターとして有名なPeter Zummo」とか言ってますが、彼の下記の作品などを聴きながら、あれ、本当にこの人、私にとっては「歴史の中の人」では、、、と感じている昨今です)


KAKUHAN+Peter Zummo at Rewire2023の様子
KAKUHAN+Peter Zummo at Rewire2023の様子

話が少し脱線しましたが、そして、そのツアー後の2024年頃、レーベルから何か作品作りにサポートできないかとRichに提案をもらい、ちょうど進行していたソロアルバムのデモを送り、やり取りをしながらそれではリリースしようとなって今があります(なお余談ですが、リリースまでのやり取りは全部自分でやったのでコミュニケーションや進め方などいろいろなことがありましたがそこは割愛します。ようやくリリースできて本当に良かったです)。

▼アートワークについて:

アルバムに使用しているアートワークの写真はすべて、長年私を撮影してくださっている井上嘉和さん(Yoshikazu Inoue)によるものです。表面のジャケットは私が生まれた家の近くにある田んぼで撮影しました。これは2024年の5月、田植えシーズンのギリギリ前に自分でチェロを持ってゲリラ的に田んぼに入りました。これもその時に知ったのですが、田んぼは田植えの前に機械でその区画を整える作業をやるのですが、私が入ったところはそれがまだされていない場所で、通りがかった軽トラのおっさんがそのことを教えてくれて事なきを得ました(整えたあとに入ったら怒られてました)。ちなみにレコードのインナースリーヴには田んぼでチェロを運ぶ私の写真もあります。


またレコードのインナースリーブにある自作の「弓」の写真は、レコーディングで使用したのち、別のライブ後に破損させたものです。折れた弓の写真を井上さんに来てもらい撮影してもらいました。ちなみにこの自作の弓が2020年以降で私が開発した技巧的なものではおそらく1番重要なものであり、この作品において、この自作の弓は音楽という構造に対して、様々意味での「風のようなもの」を通す存在だったと感じています(より込み入ったことは別項でまた書きたいと思います)。



泥、沼地、濁った水、歪んだ鏡面(水面)。その中にポツンと在るチェロ。折れた自作の弓と取り付けられるチェロの毛が描く、どこかチェロをイメージさせる輪郭。アルバムタイトルである「Stills and Remains」は、静物(静的)と遺物、「未だ(ここに)留まる」という意味があり、その意味と収録された音を、これらの写真が見事に補完してくれていると私は感じています(音源のジャケットを見ながら、アルバムを聴いていただけるとそれぞれに見えてくる心象風景のようなものがあるのではないかと思っているのです)。

▼作品に寄せて(アルバムインナースリーブテキストの"再"翻訳):

このテキストの最後に、アルバムのインナースリーブに書かれた英語のアルバム解説文を再び日本語にしたものを載せておきます。翻訳ソフトや友人の音楽家・Jerry Gordonにお願いして行った翻訳から、このリリースに至るまで1年以上が経過する中で、その英語という「外国語」で書かれた「自分のことば」を、再度今の自分というフィルターを介して、翻訳したのが下記のテキストです(このテキストはアルバムのCD版に記載される予定です)。それでは本日はここまで。ではぜひアルバムをお聴きください。


<テキスト>


このアルバムに収録されたすべての音は、ひとつのチェロから生まれました。フィールドレコーディングやそのほかの楽器は一切使用されていません。


私はチェロという楽器を独学で学び、15年以上にわたり、試行錯誤を繰り返してきました。チェロは、私の手や腕などの身体、自作の弓などの道具によって演奏され、楽器に潜む音は、様々な接触、弓の圧力、手の動きによって引き出されます。また、それらの一部はマイクやエフェクトペダルを経由し、かたちを変え、拡張されています。それは楽器そのものを覆い隠すためではなく、その「表面の下に潜むもの」を明らかにするために使用されます。


チェロの音は「人間の声」に似ているといわれることがあります。ここにあるのは、活動の中で培った技術から生まれた、この楽器の様々な「声」と言えるかもしれません。私はこの楽器を音楽をつくる道具であると同時に、「声」を生み出す装置だと考え、そのことを念頭にパフォーマンスを続けてきました。


そのためか、ここに在る「声」は時に儚く、歪み、どこまでも「個人的なもの」として響いているのかもしれません。


けれど、声には長い歴史があります。だから、たとえそれが個人的なものだとしても、それは個人の枠を超えて外へと導いていきます。私はチェロを単なる楽器としてではなく、存在を伝える媒体として捉えています。音楽であると同時に、それは声でもあるということ。


「音楽」と呼ばれる時間と空間の上にできあがる「建物」であると同時に、それは「声」という意思や態度、メッセージでも在る。


私はその「重なり」を運びながら、音が空間に現れ、やがて消えていくように、「ここ」を何度も通過します。その「ここ」は、チェロそのもの、そして現実と想像上の風景を指します。


その痕跡と、重なり合うもの。その「重なり」がかたち作られる過程で浮かび上がる何か。


あなたがそれらに耳を傾けて、この空間に「声」を見出し、音が消えた後も何かが心に残るなら、私はとても幸せです。



コメント


parabasis1 - Yuki Nakagawa
00:00 / 00:00
bottom of page