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Note|「アウト、セーフ、フレーム」あとがきⅠ

「アウト、セーフ、フレーム」は8月2日に無事に終演し、8月22日現在、そこからさらに2週間以上が経過しました。私は元気です。関わってくださった方すべてに感謝するとともに、この公演のあとがき及び記録として、またこの状況下にどのような判断でコンサートが開催されたかを少し記載しておきます。


あとがきその1ではこの状況下で公演までどのように進んでいったかや、公演の外枠としてどのようなことがあったかを記載します。面白味のないことばかりですが、2020年4月~8月にかけて、上演(コンサート)に向けて動いていった個人の記録として書いておきます。



あとがきⅠ - 公演までのプロセス/出来事

日程/会場の変更


ノースホールからサウスホールへの変更(日程変更)

当初この公演は7月10日~12日までロームシアター京都ノースホール(収容人数200人)での開催となっていました。


しかし(2020年8月においても依然として状況は改善されていない)コロナウィルスに関する点、特に感染拡大防止のために、ロームシアター京都との相談のもと、5月2日において公演日程を今回の公演日(7月31日~8月2日)に、そして会場をノースホールからサウスホール(収容人数700人)へと変更することとなりました。ここでまず大きな内容変更が発生したかたちです(会場の変更は作品の方向性が完全に変わるので非常に悩みました。が、まず感染防止のこと、そして一種の賭けとして、またこのような機会は今後もないかもしれないと思い、5月2日に決心し連絡しました)。


時期が変わったことはまずサウスホールが空いていなかったこと、また製作の関係でなるべく時期を後ろにずらしたかったことなどが理由です(5月当初は稽古で使用させて頂く京都芸術センターも閉館しており、全く稽古ができておらず、稽古スタートも確か5月20日くらいからになったと記憶しています)。

今年4月~5月辺りのことはもはやかなり遠いものになりましたが、あのとき劇場や稽古場はほとんどが閉まっており、それが開くやいなや私はそこでこの上演の準備をスタートとさせたのでした。また京都芸術センターでは、稽古場所は当初予定されていた場所からより大きい場所(講堂やフリースペースなど通常は上演をするために用意されている場所)に変更になり、そちらを使用し5月中旬から7月下旬まで稽古をしました。


ロームシアター京都の会場変更、もとい京都芸術センターの稽古場変更は感染防止の観点から想定される収容人数(上演時/稽古時)をもとに両スペースが検討くださりガイドラインに基づき行われた変更です。勿論私が上演をやるという意思があったところもありますが、その意思を汲み、いろいろとサポートとしてくださったロームシアター京都、京都芸術センターには本当に感謝しています(なおこの公演はロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム”KIPPU”のもとサポートされたものでした)。

京都芸術センター講堂


自分の企画の中ではここまで多くの「プロセス」を開催決定までに踏んだことはなく、そのスタートからなかなか大変な舞台ではありました。ただこれはまた別項で書きますが、場所が変わったこと=より広い場所でそれぞれが距離をもって鑑賞する、そういう作品を上演する流れになったことは、個人的にはこれまで自分が行ってきた活動(音楽との距離について考えること)とも共鳴した部分がありました。この点については、明らかにキャリア的に不釣り合いである私にサウスホールという大きな会場を開いてくださり、作品を作らせてくれたロームシアター京都の皆さんの判断やサポートに重ねて感謝しています。

京都芸術センターフリースペース


客席の距離(座席配置)について


サウスホール初見/所感


サウスホールを最初に下見したのは5月8日でした。サウスホールでの作品は何度もみたりしていましたが、使う立場としてここにくるのは初めてでした。写真もいくつかありますが、ご覧の通りかなりホールで(コンサートホールではなく、厳密には劇場になります)、その「出来上がった雰囲気」がまず印象に残りました。詳しいことはまた別項で書きますが、このとき個人的には「この場所ではコンサートをしよう」と思いました(もともとノースホールではもう少しインスタレーション的なものを考えていました)。そしてその後なんどか下見/リハーサルを重ね、スタッフのみなさんと話をする中で今回のコンサートのかたちを作っていきました。



座席の撤去、距離


最初に見たのはたしかベルリンの劇場での様子を写した写真だったと思いますが、劇場においてディスタンスをもった座席配置のかたちを知りました。これもまず第一に感染防止の観点からでしたが、自分の音楽の性質上、この座席の距離についても好ましいものだと感じました(そしてロームシアター京都サウスホールはこの座席の撤去というものが可能でした)。私の音楽は個人的には「独り用」というか、観客が集団で盛り上がっていくタイプのものではないので、感染防止という観点は勿論のこと、この座席の間の「スペース」というものは自分の作品に在っても問題がないものだと思いました。



この座席の配置についても、コロナ感染の推移に従って配置案がいろいろと変わりましたが、結局一番厳しい案(1階席450程度を90人/最終的には最前列や見切れの席を排して70席程度にしました)を採用しました(なお今回の公演では2階席は使用しませんでした)

「アウト、セーフ、フレーム」での座席配置案(一部分/後方にもう半分くらい座席があります)。赤色の部分以外、椅子は撤去されました(最終的には1列目すべてと3列目の端席もあまり鑑賞には良くなかったので外しました)。



人員、費用、経済について


これでは周らないこと、観客減とスタッフ増員のジレンマ


先に動員数を言っておきます。合計4回の公演で動員数266名(内・招待が54名でした。余談ですが招待がこんなに多いのも初めてで、これもこれまで接することのなかった文化だなと思いました)。


そして上のタイトル通りです。やってみた感想は、やる側(私)も迎え入れる側(ロームシアター京都)もかなりの負担がありました。僕的には満足がいくものができましたし、ここ10年くらいのハイライトになったと思っているので、そこまでしんどくないのですが、作品を一つ一つ迎え入れるという意味では「会場の負担」というものは計り知れないと思います。現に観客を迎え入れてのサウスホールでの公演は4月以降、まだ私しかやっていないのではないかと思います。それは単純に収支が完全におかしなことになるからが理由だと思います。


どういうことか?単純にまず、入れる観客は減っているのに、スタッフや人員は増えるという完全な反比例が存在しました。具体的には座席を外すための人員や入場時の各種フォロースタッフ(列をなるべくつくらない、ヒトが特定の場所にたまらないための誘導など=これはロームシアター京都のみなさんがかなり協力してくれました)、また僕が知らないところでも各上演終了後の座席の消毒などなど…


僕はまだロームシアター京都の多大なるサポートのもとで公演ができましたが、ガイドラインに従ってこの規模で公演をすることは、絶対に収支が釣り合わないでしょう。先に伝えた通り三日間4ステージで270名程度の動員でしたが(招待含めて/個人的にはこれでも最悪の数字ではなく、むしろこの時期では健闘した方だと感じています)、これは明らかにサウスホールの最低動員数を更新したのではないかと思っています。チケット収入とこの動員数から算出されるき金額を想像して頂くだけでも、この規模では「興行が成立しないこと」は明白だと思います。


それでも「開くこと」はどのようにして可能か?


ネガティブなことを先に言いましたが、各方面から「ロームシアター京都はこのような公演をもっとやってほしい」という声を頂きました。内情や今回様々な手厚いサポートを頂いた自分からすると、それが簡単ではないことも知っていますので、なかなかそうだそうだとは言えませんが、その「可能性」について考えたいとは思います。3月か4月くらいに、Twitterで「このような状態において、ホールやおおきな公民館は普段その場所でやれないような実験的なことを、少人数の観客で良いから開放するべきだ」という類の意見をみました(ソースは見失いましたが)。そして私はその意見にある意味「賛成」して、このようなイベントをやりました。


今クラウドファンディングやまた配信などのかたちで場所を開き、存続していくための試みはいろいろとされており、UrBANGUILDなどの支援に自分も協力していたりしますが、そういったことと併行して、普通の意味で場所を「開く」ということも、今やそれはかなり採算が悪いものになりましたが、これからもやっていきたいと思います。下記は当たり前のことしか言ってませんが、場所を生かしていきながら、変わっていく鑑賞に対応していくことについて自分は現状、下記のように考えています。


▼場所を開いて上演をしていくこと。但しそれは美術館の展示やパフォーマンスのように、1日に複数回行う。また1回の時間は多少短くしても、その繰り返しが可能となるようにする。また場所にはそのようなこと(同じことを、1日に複数回行い、その都度観客を入れ替えること)を容認して頂く。1回の上演に入れる観客数はガイドラインやその会場のスペースの大きさや換気機能にもとづき、密を避ける。


▼配信の併用、また入場料とは異なる集金の体制を創ること。またこれは今後の課題ですが、単に配信をみるということ以外の要素を「配信」の中に取り組んでいくこと(そこにいないからゆえにできることを掘っていくこと)を考えていくこと。


鑑賞について

1回目のあとがきの最後です。今回この状況下でイベントをやってみて特に「鑑賞」及び観劇文化について感じたことを少し。


マスクでの鑑賞/干渉


これは主にサウンドデザインで入って貰った荒木優光さんや音響・甲田さんからの指摘で改めて気付きましたが、やる側も観る側もマスクをつけた鑑賞にはあまり良いことはありませんでした。マスクは聴くということに影響を与えています。専門的な本を読まずに書いてますが、音という現象は耳介を通じて耳からその奥(鼓膜や蝸牛、聴神経、脳)に入っていくものです。その耳介の周りに紐がついて、それへの締め付けがあることは全く聴くことに影響がないわけではないことを当たり前ですが気づきました。そして音は耳から入ると言いましたが、骨伝導の例がそうであるように、鼻や口を覆うこともまた聴くことに大きな影響を与えていると感じました。大きな会場で音を浴びる際には、音は耳だけではなく、全身で受け取るものだということです。かなり当たり前のことですが、実際に出演者、スタッフ、観客すべてのヒトがマスクをつけて鑑賞するというシチュエーションにおいて、マスクの鑑賞への「干渉」ということは感じざるを得なかったということを報告しておきます。あと私個人的には演奏中マスクしてるの結構しんどかったです、呼吸的な意味で。

撮影:井上嘉和


あと昨日、下記リンク先の研究報告をみました。それによると客席をもちいた実験ではマスク着用下であれば「客席間に距離を設けた着席」と「連続する着席」で感染リスクに大きな差はないことが示唆された」とありました。やはりマスクというものが前提になっているように思いました。これが今後スタンダードになっていく、またもしくは配信などの「ヘッドホンやイヤホンなど耳のみを通じたリスニング」が主体となっていく感じはしますが、そこに何かしらの「損ない」があるということを自分は今回の企画で感じました。


ロビー、不在、観劇文化について


今回の公演ではこれも感染防止のために、カーテンコールのあと、基本的出演者やスタッフがロビーなどにいくことは行いませんでした(京都舞台芸術協会主催で8月1日の昼公演後に行われた感想シェア会でのみ私は終演後観客の前に姿を出しました)。演劇や舞台音楽などの現場で、公演後にロビーに行って会話をすることは個人的にはあまり興味が無かったし、さして重要な事には思っていませんでしたが、今回このような徹底した対策をとった中で、カーテンコール以外で公演の感想が直に届かないことは結構大変な変化だとは思いました(公演後の談笑などについて、もう少し緩く対応できたかもですが、公演があった2020年7月31日~8月2日は関西でも感染者数が増えており、そういったところを加味すると致し方無い状況ではありました)。


僕は劇場というよりはライブハウスや多目的スペース、カフェみたいなところで演奏活動をスタートさせているので、開演前、終演後の出演者と観客が溶け合う感じを何度も体験してきました(僕はお酒などめったに飲まないので、その終演後の盛り上がりみたいなものには参加しないことが多いですが、それを遠くからみているのはいつも好きです)。さっきまでここにいた出演者があちら=ステージに行き、何かをしてまた帰ってくる、その前後の微妙な「空気の違い」をずっと面白いものだと思ってきたので、今後もその文化や振る舞いは消えないにせよ、どこか別の「後ろめたさ」が生じてしまうことは少し悲しいことだと思いました(もちろんヒトとヒトが出会う場において完璧な対策などないので、気にせずにやったらよいとも思いますが、音と同じように目にみないものがそこにあることが強く可視化されてしまった今後はヒトがこの場から去るという意識がこれまでよりも強くなってしまうのだなと思いました。これは今後集団、集合の概念に大きく影響を及ぼすことになると感じています)。


ということでかなり事務的なことばかり書きましたが、このようなことを感じたりしながら公演は実現されました。何かしらの参考になればと思います。


そしてその2ではこの上演の中身、楽曲について書こうと思います。


※公演に至るまでのプロセスやこの状況下での上演については、下記リンクの細田成嗣さんによる中川へのインタビューにもその内容が詳細に書かれています。こちらも是非ご覧ください。




 

中川裕貴「アウト、セーフ、フレーム」 ロームシアター京都サウスホール 2020.07.31-08.02

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