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Note|特殊奏法について(「アウト、セーフ、フレーム」日記1)

中川裕貴「アウト、セーフ、フレーム」、広報動画その1が公開されました。その1は最近というかチェロを始めてから継続取り組みながら(最初はこれしか出来なかった)、少しずつかたちを変えている、チェロを指や手で打撃を加えて演奏するものです。ここ数年、中東のパーカッション音楽やテクノなどの影響から、如何に指を早く動かすかというところに注力してるところがあって、それは完全に通常のチェロ演奏の道から外れているのですが、今回のコンサートはこの奏法のここまでのまとめを提出したいと思っています。




中川裕貴「アウト、セーフ、フレーム」 ロームシアター京都サウスホール 2020.07.31-08.02



 

特殊奏法について(「アウト、セーフ、フレーム」日記1)

チェロを弾き始めたのは確か2009年前後。友人の川端くんから黒いチェロを譲り受けた。これが1号機(今使ってるのが2号機)。なおこのチェロのもともとの所有者(川端君も別のヒトから譲り受けたもの)がバンドのバイオリンであるショーキーさんの知人であったことが後年わかる。何たる偶然。


当時自分はエレキベースを演奏していて(これは中学生から。が、相当に適当)、トム・コラのチェロ演奏やアーサーラッセルがチェリストであることを知っていて(その音楽からほとんどチェロは感じなかったけれど、それでもチェロなんだという認識と驚きがあった)、また昨年から愛聴しているEnnio Morriconeが在籍していたイタリアの前衛グループGruppo di Improvvisazione Nuova Consonanzaの音源などに感化されており、エレキベースを弓で弾いたりしていました。

そんな中でチェロを譲りうけて、もともとエレキベースのために握っていた弓を今度は本物のチェロに当てることになる。が、今以上にそのときの私は音感がなく、今記憶に残る初期のチェロ演奏の思い出は、在籍する歌モノユニットswimmのスタジオ練習に持参し、まったく伴奏ができなかった=ピッチが歌や他の楽器に合わせられないという光景。


この光景のことは今もずっと頭にあって、今でも自分が伴奏やメロディーを弾くときには、どこが「かりそめ」の、借り物の、仮設的な気持ちがある(この楽器を一般的な奏法で使用するときのこの感覚は、時を経て少し弱まったものの、まだどこかつかみ損ねたところがある気がする。私はこの楽器の普通を習ったことがない)。


一号機の最後の楽器としての状態

(緑の養生テープは折れた部分を補修している/破損した理由などについてはまた別コラムで説明する)



叩くことについてでした。伴奏が今すぐにできないと感じたとき、すぐ自分はその楽器を叩き始めていたように思う。そしてそのとき「良い音」が鳴った(この1号機のチェロはほんとうに表面が薄いチェロで音は基本にぼんやりしていた。よって叩くことの方が適していた気が。そしてこの行為の末、先の写真のようにボディにヒビを入れ、最終的には・・・)。


叩いた理由はルールがわかっていないゆえの動物的な反応であったことがほとんどだと思うが、併行して自分はそのとき大学院で聴覚の研究をしていた。そしてその中でモノにはひとつひとつに固有の共鳴する周波数が内在していることを学んでいました(私たちの声がひとつひとつ異なっていて、またその声から私たちは対象を分別できるという能力について学んでた)。今になっては完全に後付けかもだが、そのような影響から叩くことでこの物体の別のかたちの声を引き出そうとしたのではないかと、今の私は想像する。事実、10年ほど前のそのとき、物体(チェロ)への打撃はその物体の一番良い音が出ていたように感じた。


※5年前くらいの自分の演奏

このときは音楽よりも運動が優先される演奏ということを考えてやったことを記憶している。


なので、チェロの打楽器的奏法について、それは確かに特殊ではあるが、その特殊を特殊として売り出してる意識はなく、そこにそもそも在った声を引き出しているだけである。また打撃といっているが、それが対象を破壊しない程度にやるというところも大事だと思っている。破壊ではなく衝突であるということは前作「ここでひくことについて」で引いたブルーノ・ラトゥールからの影響が大きい。


また特殊ということでいうと、これもおそらく10年ほど前に読んだ雑誌のコラム(足立智美 - 手から発せられるノイズ - ヘルムート・ラッヘンマン-ノイズに干渉すること、ノイズを鑑賞すること<intoxicate79より>)の影響が大きい。楽器から発せられるノイズ=通常の楽器から想起されない、ある意味では「不要な、聴き手に不用意な」音は音楽を聴くという状態から、その対象(奏者、楽器、音の生まれる場所と行く方向)を視ることを促す可能性があるということです。自分が手からその楽器にとって特殊?な音を引き出そうとしていることもモチベーションはおそらくここにあるように思う。つまり音楽を聴く、受け取るということについて別の道筋を用意するということを考えている、とでも言えるかもしれない。


特殊奏法、それが「方法化」することやトレードマークみたいなるのも問題だし、今後も注意をしていかないといけないけれど、この楽器と出会った時の自分の方策というのに、叩くということがあったのは事実で、ここまでそれをやってきたので、その行為とそこから生まれる音の拡声と、スピーカーから出る音像の中に自分の嗜好、思考は詰まっています


また今回はこの打撃的な演奏に、私の古いチェロを使用した自動演奏が関係してきます。かつて楽器だったものを再び別のかたちで鳴らすことと、自分の演奏がどのような関係を持つかは今まさに考えてるいるところですが、この公演の一つのテーマであるので、ご期待ください。



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