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Note|弭(ゆはず)クリエーション日誌2|「ゆはず」を辿る


2021年くらいから、字源辞典(具体的には白川静「字通」)からその漢字の起源を調べるようになった。今回のコンサートにあたり、そのタイトルである文字「弭(ゆはず)」を始め、様々な「弓」や「耳」、そして「私」に関する漢字について、その成り立ちを調べている。下記ではその文字の成り立ちや輪郭から、このコンサートが何を捉えようとしているかの一端を紹介します。


しかし起源、語源などの「源(みなもと)」を辿るということは、ただただ称賛されるべきことではないことをまず付言しておく。みなもと=何か純粋な始まり、ピュアなものを追い求める仕草がここには含まれているように感じる。源流を追い求めることは、どこか不純なものを排除する態度があるのではないか?そして、そのような手にしたい「純粋なもの」のために、何かその道の片隅にある雑草を排除することが時として発生するのではないか?そういったことを自問しながら、その文字の道を辿ることを行う。


これもまた余談ではあるけれども、今年みて非常に印象に残った映画「関心領域」において、特に自分の中で記憶に残っているシーンは、アウシュビッツ収容所の所長の妻が、アウシュビッツの隣の住居(家)の庭園において、せっせと雑草を抜き取るシーンである。私たちが異常とされる環境において、何を必要とし、何を不要=見ない/聴かないものとして認識しているのか?或いは、何がほしい「結果」「成果物」なのか?ということを、私はこのシーンから感じた。ある対象の根っこを探すとき、私はその対象の何を採取し、何を要らないものとして選択しているのか?




「ゆはず」に関わる文字の意味

  • 弭:ゆはず。弓の両端にある弦(つる)を掛ける場所。「やむ、やめる、とめる、とどめる」という意味もある。


  • 弓:ゆみ。弓の形を描いたもの。弓というもののかたちを象(かたど)ったまさしく象形文字=ものの形をかたどって描かれた文字。


  • 耳:みみ。人の耳を象(かたど)ったまさしく象形文字=ものの形をかたどって描かれた文字。


  • 弦:げん。つる。弓に張る糸。楽器に張る糸。弓を張ったような半円形。弓張り月。弓と、𢆯(べき)(=細い絹いとを張った形で、糸(べき)の古字。現在の玄はそこから変じた形)から成る。弓に張ったつるの意を表す。


  • 弘:ひろい。大きい。ひろめる。行きわたらせる。弓と、厷(コウ)(厶はその省略形)から成る。弦を張るために弓を大きく反らせる意を表す。ひいて、おおきい意に用いる。


  • 私:禾と、厶(シ)(わたくし)とから成る。囲って自分のものとした穀物の意を表す。ひいて「わたくし」「ひそかに」などの意に用いる。


  • ム:シ。わたくし。「私」の略体、かつ「私」の初文。また厷(コウ)の省略形。わたくし、私有という意味がある。

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これらもまたわたしが望んだ範囲での「意味」を借用しているのだが、このコンサートで関わる「文字」と意味についてピックアップしています。


弦をかける場所という「空間」。弓に張った「つる(弦)」。そして「弘」という広さや大きさを表す文字に一部にある「弓」。そして「弘」に在る"弓を反らせる"という意味。また弘や私の文字の中にある「ム」という「私」を表す文字。弓、そして拡がりの中にある私(ム)。これらの文字と意味を眺めるときに自分の中に現れるイメージが、このコンサートの出発点になっている気がしています。



弓に耳。ゆはず。弓と耳の語源。


再び翻って、弓と耳の字統を引いてみると、その2つの文字の起源において、特に甲骨文(占いの記録のためにカメの甲や獣類の骨に刻まれた中国最古の文字)のかたちに補完/対応関係があることを発見しました(下記図)。



「弓」の字源
「耳」の字源


そこから生まれた「弓と耳がどれくらい同じなのだろうか?」という漠然とした問い。また「どれくらい同じ?」ということは、ある意味ではどれくらい「そこに違いを見る」のかということであります。それは別項でも記載する予定の私がかつて研究していた、音の分離/分別と統合のあいだの(ヒトの)認知のことを思わせる。文字をわける、意味をわける、音をわける、しかし空間と時間という組織においてそれらが統合されて何かに変異/変身する「場所」。


今回の企画は「コンサート」という人がある場所に集まって音やヒトを観る催しです。なので当たり前のことですが、現場で展開されるのは「文字」でも「意味」でもなく、複数のヒトや現象(音や光)、モノが、観客という存在を招いた「環境」で生じる重なり(重層/重奏)になります。


これを今回のコンサートにおいて、私個人として重要な参照点になっているパプアニューギニアの民族・カルリのことばを借りるとすれば、それは「重ねあげた響き」ということになります。これらの文字や意味、そして4年前くらいに開発した弓から派生した様々な要素が、今クリエーションを経ながら、だんだんと層になっていっています。


今回のコンサートの概要や私の現在までの遍歴については、こちらのインタビューでもお話しています。



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