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Note|弭(ゆはず)クリエーション日誌6|かつて誰かが立てた「声」について

中川さんと最初に会ったのは記憶が曖昧なほど昔だった気がしますが、一緒に何かやりませんか?という運びになったのは昨年、山口情報芸術センター(YCAM)での私のDJに、なんというか広い意味で「声」あるいは「聲」を感じた、という感想を頂き、それは中川さんがチェロを演奏する際とても大事にしていることであり、共鳴してくれたことが契機です。


私は選曲のためという下心の前に、誰かの音声を聞いていると不思議に落ち着くという理由で、Spoken Wordと分類されるような口承詩的な音源や、歌ではない話声、呟き、語り、アナウンスや解説などの声の録音物を地道に蒐集してきたのですが、どこにでもありふれていて、神聖なものにも雑音にも捉えられ、しかし人間の生理の深くやわらかな部分に直結している「声/聲」というものについて、関心と探究心を持った人物が身近な音楽家の中にいたことを、大変嬉しく思ったのでした。


弭、ゆはず、ゆわず、言わず今回の主題の中にはそういう言葉遊びも含まれているのですが、何かを言語化して、それを声に出す行為には、言葉にできない情調が内包されていたりもします。ゆはなかった(言わなかった)ことで、音として明確に顕れない部分にも想いを巡らせながら、この公演を鑑賞していただけたら幸いです。


【1729から弭(ゆはず)への出演コメント】



「YOSETE UMEKITA」でのパフォーマンスの模様(撮影:井上嘉和)


1729(威力さん)のDJを初めて生で聞いたのは、昨年のYCAMで、そのときのすばらしいプレイから思わず、何か一緒にできることはないかと考え、今回のこの公演の構想はスタートしました。威力さんを観るまで、僕はDJという存在は非常に遠い存在で(それこそ最近はKAKUHANでの活動でクラブミュージックシーンにも関わることが多くなりましたが、基本的にはこれまではそういう場所を沢山は出入りするタイプではありませんでした)、どこか自分のような「演奏」=楽器を使用して、その場で音楽を現実化する行為を行うタイプの存在とは異なるものとして、この「DJ」という存在を捉えていた部分があります。


しかし、威力さんのDJをみたとき、そこに「声」が確かに在りました。威力さんのプレイは一般的なDJが行うようなリズムやビートで時間を前進させる?ようなものとは異なり、例えば天気予報や誰かの物売りの声、そして様々な物音、サイレンや電子音などが重なり、それらが合唱しているとしか言えないような存在感を放ち、そしてその中心にあるのはあくまでも「声/聲」というものでしかないと私は感じました。


※「声/聲」というと、それはどうしても有機物(ヒトや動物)が立てるものだというイメージがあるかと思いますが、個人的にはその言葉=声はもっと広い意味で捉えていて、それは「ある対象に内在している音をこちら側に引き出し、そこから現前した音」という意味で私は「声/聲」というものを理解しています。


 

そこから何度もリハーサルを重ねたり、うめきた公園で開催された「YOSETE UMEKITA」でのパフォーマンスを経て、間もなく初めての「コンサート」となります。近年の1729(威力さん)は勿論クラブミュージックシーンでのプレイもありますが、最初に書いたYCAMや九州大学など、その活動の範疇はどんどんと広がっており、このタイミングで、ロームシアター京都という場所に「コンサート」というかたちで共に音が出せることは二人ともとても楽しみにしています。


またこれは是非現場で体験して頂きたいのですが、「チェロ」と「DJ」ということばでは通常イメージできないような、それらの主客や音の同化がこのコラボレーションにはあり(本人たちですら混じってしまうとどちらがどの音を出しているかわからなくなる時があります)、まさに先の日誌でいっている「重ねあげた響き」の現代的な実践がここにあると自負しています。


私がここまで書いた日誌で考えたことに加えて、威力さんの出す音が交わること。私は威力さんをみて以降、DJというものを「ここには無い、かつて誰かが立てた音(声)を召喚する存在」として捉えるようになりました。


「ゆはなかった(言わなかった)ことで、音として明確に顕れない部分にも想いを巡らせながら、この公演を鑑賞していただけたら幸いです」という威力さんの言葉が既に指し示していますが、音や行為の周りに存在するその「不可視」「サイレンス」の存在を是非体験してもらえたらと思います。


チェロとDJという両端に「かけた」ものを是非ご覧ください。劇場でお待ちしております。



「YOSETE UMEKITA」でのパフォーマンスの模様(撮影:井上嘉和)


追伸:

くしくも、私も威力さんも読み、多くの影響を受けた書籍「聲」の著者である文化人類学者の川田順造さんが今月亡くなられました。「聲/声」というものの出自や出で立ち、その存在を深く探求されたこられた川田さんに想いを馳せつつ、私たちも私たちなりに、その聲という存在を楽器を持って追いかけたいと思います。


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